年の瀬の際

今年ももう終わりそうだ。

クリスマスというビッグイベントもまだ控えている今、今年のまとめに入るのはまだ早いであろうが気分的にはもう残りは消化試合である。

今年も例年の如く一人で二郎にでも行こうかと計画している。後部活。おわり。

悲しくはない、というのが正直なところ。ただ大学という社会に触れてきて、孤独に対する後ろめたさみたいなものが芽生えてきた。というか浪人時代に麻痺していた神経が回復してきた、といった方が正確かもしれない。つまらない人間になってしまったな、と思う。今の中途半端に社会に組み込まれている状況は気持ち悪い。とはいえ完全なアウトサイダーや社交人になってしまうのも極端なので、来年は今よりもほんのちょっぴりアウトサイダーか、もう一歩だけ社交的な自分になりたい。自分が好きでいられる自分でありたい。

 

集中力を身に付けたい。今の自分はローコストでストレスフリーな快楽に流されがちである。ミーハーだなと思いつつも『スマホ脳』を読んで怖くなってしまった。自分じゃん、これ。学生という恐らく人生最後の創造的な時間をゴミみたいなコンテンツに費やし続けても後悔する未来しか見えない。ただ自分の脳もジャンクなドーパミンに夢中なようである。グルメな脳に育ててあげたい。

 

前の記事を見ると天鳳についてカッコつけたことが書いてあったが今となっては恥ずかしい限り。初心に帰ってまずは6段復帰を目指したい。配信はじめよーかなー。

 

 

天鳳スランプ気味

天鳳迷走中。

以前見えていたものが見えなくなっている。

分かりやすい指標で言えば、放銃率が11%台後半→12.3%へ上昇しており、押し引きのブレや副露ケア、ダマテンケアの不足を示していると考えられる。また、副露の増加も要因として考えられ、そちらに関しても見直したい。

これは特南を舐めてしまっていたのかな、と思う。大した実力も無いのに。

特上卓では一応勝ち組でいられており、これは勿論以前の僕からしたらとても凄いことなんだけど、特南にも自分より強い人は当然たくさんいるし、そもそも自分の目標は鳳凰卓である。

今一度自分の目標を見据えて冷静な麻雀を打ちたいと思う。

打っている間に気が付いた改善点を備忘録として残しておく。

お知らせ本1,2も読み返したい。

 

【手牌の価値を見極める】

最近特に意識が薄くなっていた部分はここだと思う。ただやっぱり難しいところでもあるので、自分が思う基準(本とかからのパクリもある)を単純にセオリー化してみる。とりあえずこれをベースにして調整していきたい。

・3巡目、6巡目、12巡目に手牌を遠くから眺めてみる。

・8巡目以降は次の瞬間誰かがテンパイする可能性を考慮する。

・終盤リャンシャンテンからの放銃は罪。リーチや副露が例えなくても河がよっぽど薄い、上がる価値が高い手牌や状況の場合以外はベタオリくらいの気持ちで。

・2段目リャンシャンテンで副露が入っている場合も上と同様。

・2段目は少なくとも1枚は安牌が欲しい。

 

【リーチに対して押している他家ケアの徹底】

当然のことなんだけど忘れがちなので注意したい。

 

【副露の基準】

400戦ほど打つ中で副露率が4~5%ほど上昇している。それ自体は良くも悪くもないが、手牌価値の意識の低下により無理な鳴きが増えているように思われる。今一度「高いか速いか安全か」を意識したい。こちらもセオリーをいくつか自分で考えてみる。

・鳴いてもスリム化は重要。面前手では自然に手狭にする代わりに安全牌を抱えられる状況でも、鳴いていると何故か速度極振りの選択が多くなる。しかし、手牌が短くなる副露手こそ安全牌の意識は重要であるのではないかと思う。

・ドラ1~2は面前を強く見る。

・ドラ1~2で仕掛けるには、明確に先手をとれるor受けが効くのいずれかを満たすことが必要。

 

【高打点確実な手に対する押しは一歩立ち止まる】

特にラス回避が重要な天鳳においては高打点への放銃は致命傷となり得る。そのため、画一的なセオリーに囚われて甘い押しを繰り返していては点棒がいくつあっても足りない。

特にドラポンやホンイツなどの場合は、相手の手が高いことが分かるという点でこちらは明確なアドバンテージを有していると言える。これらは押し引きの基準に積極的に取り入れたい。

8000点以上が確実な副露手に対する押し引きは下のように考えたい。

・南1以降は刺さった場合の着順を考える。仮に放銃するとラス落ちやオーラスを三着以下で迎えそうな状況になる場合は相手にテンパイ気配が少しでもあればこちらがテンパイしていても即オリ。

・形が悪い場合は序盤だろうとドラポン入ったら和了することは忘れる。

 

スマホ

スマホ脳という本を読んだ。自分とスマホの付き合い方を考えさせられる本だった。特にスマホによる集中力の低下などについては強く自覚している部分だった。本書を読んでこうした危機感が更に強くなった。脳の報酬系スマホの関わりを進化論を用いて説明しているのは説得力があり面白かった。

本を一冊、映画を一本見る間にスマホを見ないことは恐らく今の僕には不可能である。しかしこれでは集中することができずその作品を十分に面白がれていないと感じる。それに数分毎にスマホを意味もなく確認し、ついでにyoutubeや5chをと繰り返すことにより時間を大量に浪費している。勉強や趣味を豊かなものにする上ではスマホは敵と言ってしまっても良い。本書は時々読み返し危機感を忘れないようにしたい。また、作中のアドバイスも可能な範囲で実践したいと考えている。まずはスクリーンタイム5時間くらいからで。

 

スクール・オブ・ロック

バンドを追い出されたギタリスト主人公が私立小学校に紛れ込み子どもたちにロックを教えるという映画。同名のラジオは中学生の頃時々聞いていた。やはりバンドで活躍するシチュエーションはオタクには刺さるしワクワクした。ステージで自分を表現することだけで得られる喜びってのはあるよね。でも何もしようとしない限りそのステージはやって来ないんだと改めて感じた。親や教師が妨害役かと思ったけど結局障害らしい障害はなくて笑った。ラストステージで彼らが互いの子供を褒めあっているのは授業参観のようで痛快かつ微笑ましかった。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャー

言わずとしれたタイムトラベルものの名作。そういえば今まで見たことなかった。2本の炎の轍だけを残して消えるデロリアンの次元転移は非常に痺れた。話の流れ自体はあまり驚きは無かった。恐らくこの作品を元ネタにした作品群に触れてきたからだろう。本筋には関係ないが女の子が可愛かった。特に若かりし頃の母親は美少女なのに肉食系でエッチだった。

22歳の夏休み

 

・22歳の夏休み

解剖実習や試験も終わり、無事医学部2年次の夏休みを迎えることができた。無事とは言ったが、正直試験の手応えは芳しくないので、再試にかかっても困らないように化学くらいは9月入った頃には勉強を始めておきたい。

フレッシュな2年生とはいえ浪人を重ねた僕はもう22歳である。しかし自分がその年齢にふさわしい能力や成熟した精神を持っているかというと全くそんな気はしない。頭の回転も遅いし性格も良くない。優しいとは言われるが自己保身の結果である。

人間関係においてはそのことを特によく感じる。高校までは小学中学で築き上げてきたコミュニティの中にいれば生きていけたし、浪人時代は1人でいることが当たり前だったので気づかなかったが、どうやら僕は友達を作るのが下手らしい。その要因は僕自身の人間的魅力の欠如など色々考えられるけれど、やはり自分自身が他人に興味を抱こうとしていないことが一番大きいのではないかと思う。例えば自分は人の顔と名前を憶えるのが苦手である。部活の先輩の名前すら半分も分からない。でも結局はこれも他人に拒否されて傷つくことを恐れているだけで自己保身の一つなんだろうと思う。これは在学中に矯正していきたいと思っているのだが、この姿勢はいつの間にか自分の骨格になってしまっているようでなかなか治りそうにない。

自己批判ばかりしていても気が滅入るのでこれくらいにしておく。

 

・映画とか

劇場版スタァライトを見てから、映像表現の訴求力や面白さを意識するようになった。アニメ映画でやっと気付くというのはやや気恥ずかしいけど、それくらい自分の中で影響力を持つ作品だった。夏休みは映画やドラマに色々触れたいと思っている。

今日はスタンリー・キューブリック監督のフルメタル・ジャケットを見た。戦争映画を見るのは初めてだったが、キャラクターが魅力的で飽きずに楽しめた。特にハートマン軍曹は強烈だった。朗らかなメロディに乗せて下品なスラングを歌いながら走っているシーンなどは下品すぎて笑ってしまった。また、1人1人を写しながら画面が横に流れていく映像が多用されており印象に残った。こういった作為的な構図は面白くてすきだ。戦場を後ろにミッキーの歌を歌いながら行進するラストは戦争というものを印象的に描いていたと感じる。